娘が生まれて、生後六ヶ月が経った。2021年11月に入った東京の新規コロナウィルス感染者数は、10人を切るほど落ち着いていた(オリンピック開催期間中は一日当たり5000人を越える日もあった)。私達は、結婚の両家挨拶もオンラインで済ませていたので、妻の実家である佐賀への帰省も、ずっとできないでいた。これから寒い季節になれば、どれほど感染が盛り返すかも分からない。そう思い立つと、衆議院選挙が終わった11月3日、文化の日に、初めて娘を飛行機に乗せて帰省することになった。
娘の成長は本当にあっという間で、生後3ヶ月で倍の重さになり、乳児湿疹や消化不良などもあったが、すくすくと7kgを越える体重になっていた。離乳食も始まる頃には、生え始めた歯がむず痒いのか、夜中に起きる事も多かった。ご多分に漏れず、私も(特に)妻も寝不足で、一般的な子育て生活に四苦八苦していた。抱っこ紐にリュックを背負って羽田空港に向かい、一回り小さな佐賀空港行きのANA機に乗り込む。初めての空路はきっと泣き止まず大変だろうと覚悟していた。周りの子供の泣き声につられないか、高度が上がるにつれ不安も募ったが、普段の夜鳴きと打って変わって大人しく、着陸態勢に入る頃には、娘はすっかり眠っていた。途中、缶の液体ミルクで水分補給しながら耳抜きができたのも、良かったのかもしれない。
義父が空港まで車で迎えにきてくれ、どこまでも広がる佐賀平野を眺めながら妻の実家へと向かった。晴れているのに空は黄砂で澱んでおり、色の薄いサングラスをかけているような光景だった。妻の実家に着くと、すっかり人見知りをするようになった娘は、初めこそ祖父母にあたる二人を前に泣きじゃくっていた。義父母が娘を間近に見るのはこれが初めてだ。ずっと写真でしか見ていなかったのもあり、たとえ初孫でなくとも、可愛く感じてもらえたのだと思う。部屋を用意してもらい、上げ膳据え膳何もしないのはいつぶりの事だろうか。こちらにきても夜通し寝ることはまだなかったが、仕事と家事がないのはこんなにゆっくりできるのかと2人で思った。和室の畳でゴロゴロするのも最高だった。
2日目は車がなかったので、散歩がてらと近くのショッピングモールへ向かった。歩く距離ではないと念押しされたが、散歩もしたかったので抱っこ紐で黙々と歩いた。車道には何台も車が走っているのに、歩道ですれ違う人はまったくいない。ショッピングモールに着くと、いつも都内で行っている無印良品もスターバックスなどのカフェも、何もかも揃っていた。その充実ぶりに、この数年リモートワークだったのだから、一時的にでもさっさと引っ越せば良かったとさえ思った。その後、親戚の家に集うのに車で拾ってもらったが、ここまで歩いてきたという我々に、義母は理解しかねるという表情だったのが面白かった。親戚のお家では妻の祖母、娘の曾祖母にあたる親子4代で記念写真を撮った。そもそも親子4代並ぶところに立ち会ったことがなく、娘が覚えてられたら良いのにと思いながらシャッターを切った。
3日目は義父母に日中だけ娘を預かってもらい、妻の友人と温泉へ向かう予定だった。しかし、朝起きると、妻は何かを思い出したようにソワソワし始め、すぐに出る支度ができるか?と私に訊ねる。バルーンの一斉離陸、つまり熱気球のフェスティバルが開催期間中であり、一斉に飛立つところが見れるかもというのだ。”そんなイベントがあるなら、昨日のうちに言ってくれれば良いのに!”と思ったが、期間中どの日程で何の競技が開かれるかは朝の天気次第、その日その場で決まるらしい。調べてみると、今日何があるかはわからないまま、各々のスポットで待ち構えている人たちのツイートが散見された。私はリアルで見ることに強いこだわりがない性格なのだが、それと真反対の妻は、すでに義母から車を借りる旨を話している。
朝8時前、既に一斉に離陸したバルーンを、家族三人車で追いかけた。娘は車が走り出してすぐに寝てしまった。私はせっかくなら望遠レンズを買っておけばよかったと思いながらも、45mmの単焦点レンズを手に、遠くの空を見ていた。まだ市街地なのに、確かに点々と気球が見える。のんびり空中を漂うイメージとは異なり、バルーンはグングン空を流れていく。地図が頭に入っている妻の運転でも、なかなか近づけない。市街地を少し抜けて、信号機が一段少なくなったところ、バイパス道でその距離は一気に縮まった。まばらに見えていた一団がようやく近景に収まる。コロナの影響でこれでも半分と言われたが、圧巻な光景だった。フロントガラス越し、佐賀平野のアスファルトと田畑の上に浮かぶ熱気球の群れは、確かに私が人生で初めて見るものだった。
気づけば停車中の車が周りにもチラホラあり、皆同じ空を見上げている。佐賀バルーンフェスタはこの時期、佐賀の風物詩なのだと聞かされた。行きに反対車線の一部だけ異様に渋滞しているのを見かけたが、それは一斉離陸を見終えた人の帰り道で、通勤前に見ていた人達なのだろう。振り返ってみれば、滞在中これが一番の思い出になった。思い立ったが吉日とばかりの妻の行動力には見習うものがあり、人にリアルでこれを見せたいと思う気持ちも、今なら納得できた。その後、10時に妻の友人と合流、娘を初めて実家に預け、日帰り温泉に向かった。私はサウナが気持ちよかったせいですっかり女性陣を待たせ、少し恐縮しながらその後に瓦蕎麦を食べた。実家に戻ると娘は機嫌良くしていたと良い、夫婦2人で初めて子供を気にしない時間を過ごせたように感じた。
4日目は曇り空で、太宰府まで車で行った。信心深くないので、本殿よりも隈研吾の手がけたスターバックスの方をありがたがって滞在していた。妻の実家には4泊5日おり、持て余すかと思えば結局そんなことはなく、最終日まであっという間だった。ご両親とは結婚前に一度会っていたが、ゆっくり夕飯をご自宅で頂くのもこれが初めて。日に日に打ち解けて饒舌になっていく義父と話すのも楽しかった。最終日、引き続きしばらく滞在する妻と娘を残し、私は一人、佐賀空港から一足先に東京へと戻った。機内で撮った写真を振り返っている間に、機体は離陸し、窓からは有明海が見えた。海面はキラキラと輝いている。娘がもう少し大きくなったら、この景色を見て、どんな顔をするだろうと思った。