娘へ

2021年4月30日、金曜日。最高気温は24度で新緑の季節らしい晴れた日だった。日経平均終値は28,812円、ドル円は109円。コロナウィルスの新規感染者数は東京698人、全国で4,684人。GWの合間の平日は、休みをとっている人も多いようだった。私達の娘が生まれたのは、そんな日だ。

この文章はいつか娘が、自分が生まれた日に興味を持った時のために書いている。私達夫婦にとっては掛け替えの無い思い出になった一日だ。

予定日を過ぎ、娘は3,406gにまでなっていた。可能な限り無痛分娩で産もうと努力してきたが、途中で帝王切開に切り替わった。破膜後、酸素濃度が低下し呼吸も弱くなってきた為、陣痛の経過を考慮した判断だった。

前日から入院していた妻は、23時頃から6-10分毎の陣痛でほとんど眠れておらず、6時には事前準備の投薬が始まり、8時に陣痛促進剤、9時半に硬膜外麻酔の管を入れ、11時前には無事に麻酔が効いていた。状況が変わったのは16:20頃の事で、代々木上原のStarbucksでこれを書いていたとき、妻から電話があった。電話越しに聞こえる計測モニターの定期的な機械音以上に、妻からのか細い声は一層の不安を煽った。コロナ禍で立ち合いは制限されていた為、いつでも対応できるようにと近場で陣取っていた。それが功を奏し、10分と掛からずに産婦人科には辿り着いた。なかなかに生きた心地がしない時間だった。信心深くないものの、安産祈願のお札に日頃祈ったりしていたが、神頼みは当てにならないと改めて思った(←そういうところ)。

コロナウイルス対策で、受付では検温とアルコール消毒を手早く済ませ、緊急の旨を伝えると、入館受付で氏名・住所・連絡先を書くように伝えられた。拍子抜けするほどゆっくりした対応に驚きを感じたが、エレベーターを待たず階段を駆け上がり、妻の元に駆けつけた。そこでも驚いたのは、担当医師はのんびりとした口調で私を迎えたことだった。帝王切開の同意への説明は、まるで怒られた子供の言い訳のように繰り返しが多く、私の”サインでしょ?早く同意書渡して!”といった雰囲気を汲み取る様子は全くない。”もしかして、そんなに急いでない?”と気づいたのはその時で、”呼吸が弱く低酸素”と聞くと何か後遺症でも残るのではないか?と必死だったわけだが、完全にこっちの杞憂だった。

それから5分ほどで手術は始まった。義母に電話で手短に状況説明をして、落ち着かない時間が続いた。横では別の子供の産声が聞こえ、向かいでは別の父親になったばかりの男性が子供を見つめては、時折写真を撮ったりしている。結果として無事だったが、不妊治療のフロアも擁するこの場所は、期待と不安が入り混じった場所なんだなと改めて思った。

帝王切開は4人に1人が該当し、少なくとも術後2週間はだいぶ痛みが残り、以後の出産は全て帝王切開になる。私が知っていた知識はその程度だったので、まさか15分程度で出産に至るとは思ってもみなかった。自動ドア越しにまた別の産声が聞こえたが、それが自身の娘のものだった。私が病院に駆け付けてから30分そこらの17:08のことだった。呼ばれて娘の元へ行くと、血や羊水を拭き取ったガーゼの綿と乾いた血液、臍の緒の一部がまだついている赤子が元気に泣いている。

髪の毛も生え揃い、産道を何とか通ろうとした頭は少しとんがっていた。出生前診断で事前に聞いていた体重には、”まさかね”とか”測定っても実測じゃないでしょ?”と侮っていたが、本当に3,406gあった。後から妻と”これは出ないわ”と理解した。写真を撮ったり触っても良いというので、恐る恐る手を触ろうとすると、把握反射でギュッと掴もうとしてくる。ここまで頑張った妻より先に触れて良いものだろうかと迷ったが、縫合まで時間をさらに要するということで、動画や写真を撮ったりして、保育器に入るまでの時間を記録に残した。色々な測定が終わり、身長や体重、誕生した時刻を告げられた時は、本当に妻は頑張ってくれたのだなと涙ぐんでしまった。一緒にいたら間違いなく泣いてしまったと思う。

呼吸の様子をしばらくモニタリングするため、娘は新生児室に移動された。すでに夕刻を回っていたため、部屋にはカーテンが掛かっていた。わずかに受付越しから覗ける場所で、一番奥にいるのが娘だと説明された。受付の方の邪魔にならないよう遠目でじっと見つめていると、妻がストレッチャーに乗って出てきた。無痛分娩からの帝王切開だったので、すぐに手術に臨めたようだが、縫合にはそれなりの時間がかかった。痛みはないかと尋ねると大丈夫そうだったが、色々な事がいっぺんに起こり憔悴しているのは当然だった。陣痛から無痛分娩、帝王切開。いきむ以外は全部やったと後で話していたが、出産とは形がなんであれ、産んでもない私でも本当に大変だと痛感した。


娘が母親になるときにはどうにか変わっていて欲しいが、無痛分娩というのは日本において6.1%と圧倒的に低い(2016年時点)。アメリカ73%、フランス82%、イギリス60%と比べると差は歴然だ。COVID-19のワクチン接種率でも思ったが、同じ先進国かと疑いたくもなる。原因として無痛分娩に対する偏見などを聞くが、望んでも対応している病院が少ないことが大変だった。無痛分娩の追加費用は約15万円だが、対応医院の場合はそもそものグレードや総費用がそれ以上に高く、富裕層でもない限り予算面でもかなり絞られる。杉並区の24時間無痛分娩対応病院は80万程だったが、隔週で通院するには遠く断念した。対応医院は少なく、予算は高く、1/4は帝王切開の確率があり、24時間対応でない限り麻酔科医不在の夜間・休祝日は和痛分娩になる。それほどハードルが高ければ6.1%だろう。加えて、これだけ母親に負担を強いる出産に対して、2021年現在、普通分娩は保険適用外だ。恥ずかしながら、妻が妊娠するまでそんなことも私は知らなかったが、本当にこの国は少子化を改善するつもりなど無いのだなと感じた。


近現代史で習うかもしれないが、2019年末から2021年というのは、COVID-19、通称コロナウイルスに翻弄された時期だ。冒頭の通り一日に何千人と新規感染者が出て、国内でも1万人が4/26までに亡くなった。その殆どが60歳以上と高齢者であったが、経済活動は抑制される一方、オリンピック実施しか頭にない政府の無策っぷりが、他国と比較しても顕著に出ていた。

東京都の直近の出生率は下降傾向で、2022年に85万人を切ると推定されてたものが、2年前倒しで下がる見積もりが出ている。都は2021年に、新生児一人当たり10万円相当の子育て支援対策を始めたが、この年に子供を産んだ人が少ないことの裏返しだ。つまり、娘はより少数の世代に生まれたことになる。優遇されることがあるようで、今の日本はシルバー民主主義と揶揄される程、負の多数決をきっと強いられるだろう。

PCやスマートフォンが普及して久しいが、公然とFAXが使われ、捺印文化があり、未だに印刷した紙の資料でないと読めないと駄々をこねる人がいると言えば、(理解できなくても)想像してもらえるだろうか。私たちやその親の世代は、”わからないことがあったら紙の辞書で自分で調べなさい”と教わった。今はなんでもインターネットで調べられるが、人に諭してきた人達は、もう新しい方法でものを覚えることができない。死語になっていることを望むが、そうした”デジタルデバイド”一つとっても、少子高齢化の人口構造は死に体なのだ。


どんな親だって子供の世代には何かが好転していて欲しいと願っているだろうが、もはや政治や国に何かを期待するのはとっくに手遅れと感じている。こうした思想の親なので、娘には決して”和をもって尊ぶ”というようなニュアンスの名前をつけなかった。きっと言われなくてもわかっているだろう。誰よりもわがままに育っていても、私は驚かないことをここにも記しておく。

あなたの名前は聡く賢く、自分の考えで生きてほしいという意味で選んだ。脈々と続く男尊女卑の世界で、祖父はあっても祖母の名前から文字を拝借する習慣はなかったから、既成概念を撃破り自分自身の美学や美徳を持って欲しい意味を込めてもう一文字を選んでいる。画数は占い程度にも気にしていない。他所は他所、うちはうちの信じるものがあるということを、あなたには理解してほしいと思う。

出産に際し、私達に悲劇的なことは幸いにも起こらなかったが、コロナ禍で混沌とした中でも、あなたは私たちに望まれて産まれた。これを読んでいる頃には存分に親子喧嘩をしているかもしれないが、母親は鎮痛剤でもなお痛む傷口を抑え、出産直後からなんとか前向きに頑張っている。私の娘なので、まともな性格にならず、辛いことばかりが降りかかっているかもしれない。いや、多分そうだろう。文末にもなるので、そんなあなたに私たちが好きな海外ドラマから

「どんなに酸っぱいレモンでも、レモネードを作ることができる」

という台詞を贈っておく。

困難があっても、あなたなら大丈夫。自分の考えで、正しいと思うことを信じ、自らの人生を楽しんでほしい。これを読んでどんな感想を思うのか、私達はあなたの成長とともに楽しみにしている。初めての誕生日に捧げる。